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ムフタ―ル通り界隈(rue Mouffetard)ちょっと前にもムフタール通りをご紹介させていただいたが、今日は観光局(Office Tourisme) 主催でこの界隈を訪ねるガイドツアーがあったので参加してみた。Mouffetardの言葉...
22/07/2021

ムフタ―ル通り界隈(rue Mouffetard)

ちょっと前にもムフタール通りをご紹介させていただいたが、今日は観光局(Office Tourisme) 主催でこの界隈を訪ねるガイドツアーがあったので参加してみた。
Mouffetardの言葉の由来「Moffettes」とは古語でスカンクとか炭酸ガスとか腐臭を意味し、また、かつてこの辺りにはビエーブル川という川が流れていて、17世紀ごろから川の汚染がひどく、そこから立ち上がる腐臭がムフタ―ル全体を覆ったことからというのも語源ということだ。加えて、辺りにはヨッパライや薬物中毒者が路上に寝転がり、場末の様相さえしていたらしい。
中世には通りに沿って建つサン・メダール教会(Église Saint-Médard)が村の中心となっていた。1724年には村がパリに組み込まれてからは、大動脈であるフォーブール・サン・メダール通りになった。そのままイタリア広場(Place d 'Italie)、そしてイタリア門(Porte d'Italie)があり、そのあとはローマへの道が延々と伸びているということだ。サント=ジュヌヴィエーヴ山(サント=ジュヌヴィエーヴの丘)の上にあったおかげでムフタール通りオスマン男爵(Georges-Eugène Haussmann)のパリ改造で作り替えられることはなく、昔の面影を至る所に残している。
今回、ツアーに参加してみて改めて気づいたことは、この地区は大昔にパリが町としてできたころから建物があり、人が住んでいた場所だということだ。私が今住んでいる15区など、昔はただの原野、湿地帯、石切り場だったのだろう。
今日のガイドさんは、さかんに「ここは非常に高級な地域になってしまった」っていうことを仰られていた。今日歩いた5区は誰もが憧れる界隈のひとつなので、それが土地の値段に跳ね返るのだろう?

シャルル・ド・ゴール空港( Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle)久しぶりにCDG空港へ行ってきた。たまたま先週、友人宅で空港の管制官をしているというフランス人男性に遇ったので、空港の話題に触れたくなった。...
21/07/2021

シャルル・ド・ゴール空港( Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle)

久しぶりにCDG空港へ行ってきた。
たまたま先週、友人宅で空港の管制官をしているというフランス人男性に遇ったので、空港の話題に触れたくなった。
その青年に当然「どこの空港?」って聞くと、「空港ではないんだぁ~」っていう返事だったので、「ああ~東京ならば所沢みたいなところね?」っていうと、一緒にいた日本人のガールフレンドが「そうそう」っていう返事。
パリの場合はCDG空港以外にもオルリー空港(ORY)と主にプライベート飛行機のブルジェ空港(LBG)があり、その3つの空港を管制しているということだ。東京だと羽田(HND)や成田(NRT)などの航空機を管制しているのが所沢にある東京航空交通管制部(Tokyo Control)だ。わかりやすく言うと、空港に発着する前後の飛行機に対しての交通整理をする管制部ということである。東京コントロールは北は東北から中国地方までカバーしているようだ。
各空港にある管制塔は、あくまでの空港に発着する便の管制だけなのである。

さて、久しぶりの空港であったが、しばらく空港送迎はできなかったのだが、送迎者がターミナルに入らなければいいということで、友人の一時帰国に際して見送りに行ったわけである。友人が乗るANA機は本来のターミナル1からターミナル2Eになっていた。どうやら他社便も同様な措置がとられている様だ。そもそもターミナル1の老朽化ということもあるのかもしれないが、便数の減便の為かわからない。

今回は見送りだけで、駐車場で友人と荷物を降ろして、それだけで直ぐに出てきた。到着階の駐車代は30分以内は無料だったので、念のために長い方の到着階に入れたが、こんな措置は今までもあったのだろうか?少なくともターミナル1にはなかったような気がする(私が知らないだけだったのか?)。あんまり意識したことはなかった。ちなみに出発階は無料の時間制限10~15分と短いということだ。いずれにせよ、いつも空港の駐車場では10〜20€位は支払っていたようなイメージだったので、今回の無料は拍子抜けした。
個人的には古いながらもドーナツ型のターミナル1の建物は好きなのだが、如何せんターミナルへ入ってから飛行機までがかなり遠いので沢山歩かねばならない(動く歩道はあるが)。
ターミナル2を作った際のコンセプト「飛行機からあまり歩かないで外に出れる」の真逆をいっているものになっている。おまけに設計者(ポール・アンドリュー /Paul Andreu)が同じというの面白い。
今、ターミナル2はAからGまである。かつてターミナル1しかなかった時代を知るものとしては感慨深いものがある。しばらくターミナル2自体を利用していていなかった私も、「そんなに大きくなっちゃったの?」っていう感じだ。ターミナル2Gまではターミナル2Eからシャトルが出ている。ターミナル2Gは主にフランス国内と欧州内がメインな様なので、これからは利用する機会があるかもしれない。

それにしても、長い間空港とは縁がなかった。そもそも日本からお客様が来ない分には、空港にも行き来することもなかった。早く往来が盛んになることを祈るばかりである。

レ・アル界隈(Les Halles)レ・アルというと一般的には(元)中央市場ということで、フランスの主な街にはよくある地名(場所)だ。パリの場合は1110年頃からこの辺りで市(Marché)が立ち始め、1183年にフィリップ・オーギュスト(...
20/07/2021

レ・アル界隈(Les Halles)

レ・アルというと一般的には(元)中央市場ということで、フランスの主な街にはよくある地名(場所)だ。
パリの場合は1110年頃からこの辺りで市(Marché)が立ち始め、1183年にフィリップ・オーギュスト(Philippe Auguste) がここを常設市場にしてから、1969年に現在のランジスに移転するまでの長い間、ここにパリの台所としての中央市場があった。現在では旧・市場の7ha以上の敷地に歩行者ファーラム(広場)が地下25mの深さにと、巨大なショッピングセンターになっている。
今回はこのフォーラム・デ・アルの周りを歩いてみた。普段通っていたところも、気を付けて歩くと驚くことが結構発見できるものだ。
まずは、フォーラムを出た後は、ソーヴァル通り(rue Sauval)に入る。これは旧・デ・ゼチューヴ(rue des Etuves)ということで、「Etuve」は発汗室つまりサウナの意味で、元々は公衆浴場があったらしい。サン・トノレ通り(rue St.Honoré)の角にはモリエール(Molière/本名Jean-Baptiste Poquelin)が生まれた家が建っていたというプレートがある。サントノレ通りをルーヴル方面へ向かうと、オラトリオ教会(Église réformée de l'Oratoire du Louvre)がある。ルイ13世(Louis XIII)と王妃・アンヌ・ドートリッシュ(Anne d'Autriche)はここで葬儀が行われた。
ジャン・ジャック・ルソー通り(rue Jean Jacques Rousseau)は名前の通り、かつてルソーが住んでいた家があった。途中で大きな通りでもあるルーヴル通り(rue du Louvre)が貫通しているので、二か所に分断されているような感じでちょっと分かりずらい。途中で現在は美術館になった商品取引所(Bourse du Commerce)が右手にある。
大きな教会であるサン・テュスタッシュ教会(Eglise St.Eustache)の手前に24時間営業のレストラン・ピエ・ド・コーションがある。サン・テュスタッシュ教会は、配置や骨組みはゴチック式、装飾はルネッサンス式で、パリで最も美しい教会の一つだ。私も初めて入ったときはノートル・ダムと同じくらい驚愕した。
教会の裏手の方にはジャン無畏王の塔(La tour de Jean-sans-Peur)が立っている。ブルゴーニュ公ジャン無畏王が1408年に建てたものだが、元々はブルゴーニュ館(Hôtel de Bourgogne)があった。サン・ドニ通り(rue St.Denis)を一挙にイノサンの泉(Fontaine des Innocents)まで歩く。12世紀ごろには、ここに墓地と教会があった。
ピエール・レスコー(Pierre Lescot)が設計し、ジャン・グージョン(Jean Goujon)が彫刻したこの泉はルネッサンス期の傑作の一つだ。
そこからほど近い場所に、アンリⅣ世(HenriⅣ)が暗殺されたフェロヌリ通り(rue de la Ferronnerie)がある。道路上に3輪の百合の花をつけた大理石の敷石が問題の場所を示している。ポンピドーセンターを右に見ながらサン・マルタン通り(rue St.Martin)を歩いていくと、ベルナール・ド・クレルヴォ―通り(rue Bernard de Clairvaux)に「時の守護者(Le Défenseur du Temps)」というジャック・モネスティエ(Jacques Monestier)が考案・製作した大時計がある。電気仕掛けで動くようにプログラムされている。
そこからはまたポンピドーセンターの脇を通り、ピエール・オ・ラ―ル通り(rue Pierre au Lard)、サント・クロワ・ド・ラ・ブルトンヌリ小公園(Square Ste.Croix de la Bretonnerie)という小さな路地の様な通りを経て、デ・ザルシ―ヴ通り(rue des Archives)に出て、今は工事中のビレット教会(Eglise des Billettes)を外から眺めてお終いにした。
レ・アル界隈もマレ地区同様に小さな道路が多く、建物や雰囲気が昔の面影を残す場所であった。今回も大急ぎで歩いてしまったが、またゆっくりと見てみたいと思う。

パンテオン( Panthéon)その21791年、憲法制定議会は、礼拝に対して閉ざされたこの教会に、以後「フランスの自由時代の偉人たちの遺骨」を治めることを決定した。かくして、ここはパンテオンと呼ばれるようになった。パンテオンは、ナポレオン...
19/07/2021

パンテオン( Panthéon)その2

1791年、憲法制定議会は、礼拝に対して閉ざされたこの教会に、以後「フランスの自由時代の偉人たちの遺骨」を治めることを決定した。かくして、ここはパンテオンと呼ばれるようになった。パンテオンは、ナポレオン(Napoléon)帝政下では教会に戻り、ルイ・フィリップ(Louis Philippe)のもとで王の廟堂となり、ナポレオン三世(Napoléon 3)によって礼拝が復活し、パリコミューンでは司令部になったが、1885年には無宗教の寺院となり現在に至っている。

地下の納骨堂には、ヴォルテール(Voltaire)、ルソー(Jean-Jacques Rousseau)、ヴィクトル・ユゴー(Victor-Marie Hugo)、エミール・ゾラ(Émile Zola)、キュリー夫妻(Pierre et Marie Curie)らの義人・偉人が葬られている。

個人的にはキュリー夫妻のお棺の前でなにか胸がキューッと押さえ付けられた。確か最初はパリ郊外のソー(Sceaux)の墓地に埋葬され、その際最初にピエール、そのあとにピエールのお父さんが亡くなり、墓地での埋葬に際してピエール、父という順で重なるところ、マリーが「自分が亡くなったときはピエールの上にしてほしい」と、ピエールと父のお棺の位置を変えたと聞いている。パンテオン内でも、下にピエール、上にマリーという位置関係だ。その部屋には他の人のお棺はなかったので、いずれは娘夫婦がはいるのかな(娘夫婦も偉大な学者だった)。ちなみにパンテオンで最初に埋葬された女性は、このマリー・キュリーだ。

今、地下ではヴィクトル・ユゴーの特別展のようなものを催していて、彼が亡くなった際の国葬の様子を写真や絵で説明がされていた。当時としては凄い大きな国葬だったっていうことが写真からでもうかがえる。

今回再訪してみて、見どころも多く、またゆっくりと見てみたいところだと思った。

パンテオン( Panthéon) その1久しぶりにパンテオンへ行ってきた。今まで何度か行っていたものの、地下のお墓の方へ行くのは初めてであった。このパンテオンは、1744年にメッスで重病に倒れたルイ15世(Louis XV)は誓いをたてた。...
18/07/2021

パンテオン( Panthéon) その1

久しぶりにパンテオンへ行ってきた。今まで何度か行っていたものの、地下のお墓の方へ行くのは初めてであった。
このパンテオンは、1744年にメッスで重病に倒れたルイ15世(Louis XV)は誓いをたてた。もし病が癒えたら、半壊状態のサント・ジュヌヴィエーヴ大修道院に代わって壮大な建造物を建てる、というのである。回復すると、王は誓いを実行に移すべく、ポンパドゥール夫人(marquise de Pompadour)の兄弟マリニー侯爵(marquis de Marigny)にすべてを任せた。マリニーが目をかけていた建築家スフロー(Jacques Germain Soufflot)が設計を担当した。奥行き110m、幅80m、高さ83mという巨大な建物を図面に引いたのである。
設計では、聖職者席のある内陣の巨大な円天井の下に、聖ジュヌヴィエ―ヴの遺物入れが置かれるはずであった。ギリシャ十字形の教会の地下には、広大なクリプトを造り、そこに修道士たちの遺体を治めることになっていた。基礎工事は1758年に着工されたが、資金の調達が思うに任せず、、工期は大幅に遅れた、1778年、地盤の関係で工事中の建物に亀裂が入った。それ自体はさほど重大なことではなかったのだが、スフロの敵対者たちが事態を大仰に騒ぎ立てた。1780年、建築家は完成を見ずに亡くなり、弟子のひとりロンドレ(Jean Baptiste Rondelet )がようやくこの大建造物を完成させた。ドームの構造はロンドンのセントポール大聖堂や、廃兵院(アンヴァリッド)を参考にしたと言われている。
写真の絵画は主に内側の壁に描かれているもの。どれも大きい。
また、フーコー(Jean Bernard Léon Foucault)の振り子の実験が行われた場所でもあり、現在も天井からつるされた振り子が1日の時を刻むよう展示されている。
地下の納骨堂についてはまた次回。

ルーヴル 再訪 その2(Musée du Louvre)先日、ルーヴルをご案内する際の1時間コースでご紹介したが、今日は2時間コースだったらという想定で、そのあとの1時間分をどこを回るかをご案内したい。通常の1時間コース+追加の1時間という...
18/07/2021

ルーヴル 再訪 その2(Musée du Louvre)

先日、ルーヴルをご案内する際の1時間コースでご紹介したが、今日は2時間コースだったらという想定で、そのあとの1時間分をどこを回るかをご案内したい。
通常の1時間コース+追加の1時間という感じであるが、1時間コースのメインはモナリザとかが展示されているドノン翼(ルーヴルは大きく分けると3つの建物がある)であるが、もう1時間の場合は主に反対側のリシュリュー翼が付け加わる感じだろうか?
1時間コースでこの辺で終わりっていうところから、サムトラケのニケの前のダリュの階段をお客さんは一度登った階段ではあるが、さらにもう一回登るわけだから、ちょっとでも気を紛らわせてもらうために、私はサムトラケのニケにまつわる映画の話をする。一つは「タイタニック」内で、船の舳先でディカプリオ (Leonardo Wilhelm DiCaprio)が女の子と一緒に手を広げる場面があることや、もっと以前の映画でもあるヘップバーン(Audrey Hepburn)の「ファニーフェイス(邦題・パリの恋人)」内でヘップバーンが、カメラマン役であるフレッド・アステア (Fred Astaire)に「写真を撮ってよ、写真を撮ってよ」と言いながら、ニケの後ろから出てくるシーンだ。お客さんの層によってはタイタニックさえ古い映画になってしまうので、「ヘップバーンってだれ?」って思われているかもしれないと思うと寂しいのだが・・・。
そうこうするうちに階段を上りきって、あとはシュリ―翼を経てリシュリュー翼へ歩いて行くのであるが、途中でルイ14世(Louis XIV)の肖像がある。これはリゴー(Jyacintho Rigau)が描いたらあまりにも出来栄えが良かったので、コピーを二枚描かせて、現在ではルーヴル以外に、ヴェルサイユ宮殿とマドリッドのプラド美術館にもある。
リシュリュー翼に入ると、まずはナポレオン3世(Napoléon III)のアパートへ行く。アパートという名前だがそこに住んでいたわけではない。豪華な造りなので、そこへ入ると一斉に「ウォ~」というお客さんの声があがる。
そのあとは一つ上の階にエスカレーターで登ってフランドル絵画の部屋へ。まずはなによりフェルメール(Johannes Vermeer)だ。添乗員さんのお話からすると、1時間コースでお見せした5大作品の次はフェルメールがお客様がお喜ぶになる作品だという。フェルメール作品は全世界で30数点しかないと言われているが、そのうちの2点がルーヴルにある。「レースを編む女」と「天文学者」だ。レースを編む女はフェルメール作品のうちでは一番小さな絵と言われている。天文学者はフランクフルトにある「地理学者」との兄弟作品だ。地理学者になりたかった私としては、地理学者は是非見てみたいが、まだフランクフルトへは見に行っていない。
それからルーベンス(Petrus Paulus Rubens)の部屋へ。ここは真ん中にベンチシートが沢山あるので、出来る限りお客様には座ってもらっている。コースも1時間半を越しているので、皆さんお疲れが見えて、殆どのお客様は腰かけられる。その後時間があればヤン・ファン・エイク(Jan van Eyck)の「宰相ニコラ・ロランの聖母」をご覧いただく。ルーヴルがモナリザに次ぐ誇るべき作品だと思うが、大体は誰もそこにはいない。もったいないなぁ~。そして最後に地上階に降りて、ハンムラビ法典をご覧いただいて終了だ。お疲れ様でした。

サン・ロック教会(Église St.Roch)いつもすぐそばで行動をしていながら、中々入ることのないサン・トノレ通りのサン・ロック教会へ入ってきた。サン・ロック教会は1315年にイタリアでペスト患者の世話をした聖ロクス(Rochus)に捧...
17/07/2021

サン・ロック教会(Église St.Roch)

いつもすぐそばで行動をしていながら、中々入ることのないサン・トノレ通りのサン・ロック教会へ入ってきた。
サン・ロック教会は1315年にイタリアでペスト患者の世話をした聖ロクス(Rochus)に捧げられた教会である。
着工はルイ14世(Louis 14)治下の1653年だった。ルイ14世が教会の礎石を置いたという。
ムーランの小丘があるために、設計にあたったルメルシエ(Jacques Lemercier)は正規の方位に建築できず、後塵を東向きではなく、北向きにせざるを得なかった(通常はエルサレムの方向である東向きにするもの)。着工後に建築資金がたりなくなったが、1705年に発行された宝くじのおかげえ工事が再開された。しかし、身廊を完成するかわりに後陣の軸線にそって重なり合う形で礼拝堂が建築されたので、建物全体の長さが最初の予定の80mから125mに延びることになった。
こうしてできたのが豊かに装飾された円天井をもつ聖母マリアの礼拝室(Chapelle de la Vierge)を始め、上部がつぶれた円天井の聖体拝領の礼拝室(Chapelle de la Communion)、そして十字架の礼拝室(Cahpelle du Calvaire)である。最後のものは19世紀に造り直された。
1719年、カトリックの改宗したばかりの財務官ロー(John Law)が10万リーヴルを寄付をして、ボールドが完成した。ファサードは1736年に、ロベール・ド・コット(Robert de Cotte)の手でイエズス会様式にで作られた。18世紀、革命以前はパリで最も洒落た教会だったという。
サンロック教会の聖母マリアの礼拝堂室や足労の礼拝室に埋葬された人が多い。ピエール・コルネイユ(Pierre Corneille)、造園師・ル・ノートル(André Le Nôtre )、 文学者・ディドロ(Denis Diderot )などの名が挙げられる。

貨幣博物館(Musée de la Monnaie)貨幣博物館はポン・ヌフのすぐそばの造幣局の中にある。紀元前300年頃に始まるフランスの貨幣鋳造の歴史、ならびにイアリアの影響を受けて16世紀に発展したメダル技術の歴史がわかる。透明パネルに...
16/07/2021

貨幣博物館(Musée de la Monnaie)

貨幣博物館はポン・ヌフのすぐそばの造幣局の中にある。
紀元前300年頃に始まるフランスの貨幣鋳造の歴史、ならびにイアリアの影響を受けて16世紀に発展したメダル技術の歴史がわかる。
透明パネルにより貨幣・メダルの両面が見られる。旧・圧延工場室では、いくつかの造幣プレス機、鋳造機が見られる。
鋳造部門がジロンド県のボルドー近郊に移される前は、大蔵大臣はここで硬貨を作らせて、国内外の通貨備蓄を確保していたが、現在でもまだ貨幣の収集だけではなく、重量・サイズの検証刻印が行われている。
売店の中では、メダル、宝石、硬貨のコレクションの展示販売も行っている。星の王子さま、ナポレオン、マネの草上の昼食の絵画などの記念硬貨もあった。
今日は大急ぎで回ってしまったが、結構見るべきものが多くて、もう一度ゆっくり見てみたいと思うところであった。

マイヨール美術館(Musée Maillol)久しぶりにマイヨール美術館へ行ってきた。ここは、近代フランスを代表する彫刻家マイヨール(1861~1944年)の彫刻、絵画、タペストリーなどの作品が見られる美術館だ。彼の女性的な丸く柔らかい表現...
15/07/2021

マイヨール美術館(Musée Maillol)

久しぶりにマイヨール美術館へ行ってきた。
ここは、近代フランスを代表する彫刻家マイヨール(1861~1944年)の彫刻、絵画、タペストリーなどの作品が見られる美術館だ。彼の女性的な丸く柔らかい表現力を堪能できる。
マイヨールの彫刻というと、ルーヴル美術館とチュイルリー公園の間の野外に沢山ある彫刻が一般的には有名かと思う。私ごとながら、こちらでの学生時代にグループ研究でこれらの彫刻を扱ったので、非常に縁のある彫刻家なのだ。

今、ここで、「アステリックス/Astérix」の絵で有名な「アルベール・ユデルゾ(Albert Uderzo)」の特別展示を見てきた。アステリックスはルネ・ゴシニ(René Goscinny)のストーリーにユデルゾの絵によって生み出されたフランスの漫画のシリーズであり、その主人公のキャラクター名である。1977年にゴシニが亡くなった後も、ユデルゾが単独でこのシリーズを描き続けていた。 パリ北部にはアステリックスのテーマパークもあり、私も二度ばかり行ったことがある。

個人的には、今迄アステリックスしか知らなかったが、今回の展示で作品をよく見てみると、彼の作品には今まで自然に触れていたような気がする。また、飛行機や列車などの作品も多いので、この人はきっと乗物好きなのかと思った。特にかつて走っていたTEE(Trans Europe Express)のミストラル号(パリ→ニースを結ぶ豪華列車)や、タヒチ行の飛行機のポスターが個人的には目を惹いた。

7月14日の革命記念日(14 juillet)昨日は7月14日の革命記念日だった。 この日は1789年の7月14日に発生しフランス革命の発端となったバスティーユ牢獄を襲撃、およびこの事件の一周年を記念して翌1790年に行われた全国連盟祭が起...
14/07/2021

7月14日の革命記念日(14 juillet)

昨日は7月14日の革命記念日だった。
この日は1789年の7月14日に発生しフランス革命の発端となったバスティーユ牢獄を襲撃、およびこの事件の一周年を記念して翌1790年に行われた全国連盟祭が起源となっている。フランスでは正式には「Fête nationale française」、一般的には「Le Quatorze Juillet」と表記し、「ル・キャトーズ・ジュイェ (7月14日の意)」と呼ぶ。
昔、銀座7丁目に「銀巴里」という歌声喫茶があったが、そこで7月には「巴里祭」と名付けたコンサートがあったような気がしたが、パリ祭というのは日本だけの呼び名と言われている。これは、ルネ・クレール監督の映画 「Quatorze Juillet 」の邦題が「巴里祭」だったからだ。

7月14日はパリのみならずフランス中で色々な催し物が開かれる。一般的なところでは花火だろうか?町によっては前日7月13日に前夜祭ということで行わるところもあるようだ。パリではシャンゼリゼでのパレードが有名だ。例年テレビでチラッと見る程度だが、今年は朝の7時前からずっとテレビをつけて、出来るだけ見ていた。
大統領が最初に車に乗って凱旋門からコンコルド広場まで走ると、そのあとは陸・海・空軍などの軍関係者の人たち、警察、消防隊など、様々な国家機関に働くもしくは学生たちが連なった。今回改めて驚いたのは、エコールポリテクニックを始めとするフランス中の色々な学校からの参加だろうか?「へぇ~そんな学校あったの?」っていう思いながら眺めていた。日本でも戦前は、陸軍士官学校、海軍兵学校、海軍経理学校、海軍機関学校などと、軍のエリート教育養成機関があったことを考えると、それと同様かなとも思った。
超エリートが集まると言われるエコールポリテクニックの制服はやっぱりカッコよかった。このシャンゼリゼのパレードに参加できる可能性があるからと、学校を選ぶ人もいると言われる。日本はこういうパレードはないからその感覚はピンと来ない。せいぜい自分が参加したことがあるのはメーデーのパレードで、代々木公園から神宮外苑まで歩いたくらいか。当時、何にも知らないで、参加させられたという点では全然種類も目的も違うものだ。
昨日のパレードだが、参加者は皆、練習はしているのだろうけど、ハプニングはつきもので、バトンを回していた人がバトンを落としたり、馬が倒れて上に載っていた人も振り落とされるという出来事があった。何年か前にはちょうど大統領の真ん前でバイクが転ぶという出来事もあった。見ている方は気楽だが、それをやってしまったご本人はその場もその後も大変だったことだろう。何ごとにも本番に弱い自分としては大いに同情するものだ。マクロンは苦虫を潰したような顔をしていた。

尚、今年のシャンゼリゼでのパレ―ドでは色々な制限があったので大使館からのお知らせは以下の通りだった。
公共交通機関は使用不可。閉鎖される地下鉄駅は、テュイルリー、コンコルド、シャンゼリゼ・クレマンソー、フランクリン・D・ルーズベルト、ジョルジュ・サンク、シャルル・ド・ゴール=エトワールなど。
またパレードを見るためには、以下のうちのいずれかに合致していることが求められた。
・2回の接種が必要なワクチン(ファイザー、モデルナ、アストラゼネカ)の場合、2回目接種後2週間経過していること
・1回の接種のみのワクチン(ジョンソン&ジョンソン)の場合、接種後4週間経過していること
・新型コロナウイルスに罹患歴がある場合、1回目のワクチン接種後2週間経過していること
・48時間以内のPCR検査もしくは抗原検査陰性証明書を所持していること
・過去15日から6ヶ月以内に、PCR検査または抗原検査に基づき発行された新型コロナウイルス陽性証明書を所持し、回復したことを証明できること。
そして、 シャンゼリゼ界隈のセキュリティーゾーン内の商業施設は、8時から14時まで閉鎖される。
シャンゼリゼは人数制限が導入され、屋外ではもう義務ではなくなったマスクの着用が義務付けられた。

海軍省(Hôtel de la Marine)ず~と工事をしていた海軍省がちょっと前から一般開放されている。予約が中々とれず、やっと昨日実現した。海軍省とは耳慣れないものだが、日本で言う昔の海軍・陸軍という仕分けでの海軍っていうことなのだろ...
14/07/2021

海軍省(Hôtel de la Marine)

ず~と工事をしていた海軍省がちょっと前から一般開放されている。
予約が中々とれず、やっと昨日実現した。
海軍省とは耳慣れないものだが、日本で言う昔の海軍・陸軍という仕分けでの海軍っていうことなのだろう?今は防衛省の方へ引っ越ししたようで、長い間の改装工事を経て今回の一般解放に至ったようだ。
クリヨン・ホテルの入った建物と対になるような形で、コンコルド広場の象徴的なモニュメントであるHôtel de la Marineは、18世紀にフランス国王に仕える主席建築家アンジュ・ジャック・ガブリエル(Ange-Jacques Gabriel)によって建てられた建築物だ。1798年に海軍省の本部となる以前は、200年以上に渡って王室調度品保管所として利用されていた。

パリの中心部にある比類なきモニュメントに足を運び、フランス文化財センターによって全体的に修復工事が行われた建物内で、調度品を再現した18世紀のアパルトマン、小サロン、食堂などの様子を堪能できる。

今回見て見学した感想としては、やっぱりヴェルサイユ宮殿の王家の各部屋を見学しているような感覚だった。一番の見どころはコンコルド広場に面したバルコニーに出ることができることだろうか。広場を横切ることは度々あっても、まさか広場から眺めていたこの歴史的な建物の中に入れること自体が信じられない思いだった。

また、見学者には自動的にオーディオガイドが流れるヘッドフォンを貸してくれるのだが(英・仏のみ)、それが頭にフィットせず、頭に着けているとちょっと痛い感じだろうか?まあ~ホンのひと時の時間だけだから我慢の範囲内だが、もうちょっと工夫はできなかったものなのか?
売店は、海に関する品々があったのが、他の美術館・博物館にない品揃えだった。

ルーヴル美術館再訪(Musée du Louvre)最近、他のところへ行っていてルーヴルにはご無沙汰していたので、昨日は久しぶりに行ってみた。すでに夏休みに入ったこともあって、今回はかなりのお客さんが訪れていた。ただただ回るのではつまらない...
13/07/2021

ルーヴル美術館再訪(Musée du Louvre)

最近、他のところへ行っていてルーヴルにはご無沙汰していたので、昨日は久しぶりに行ってみた。
すでに夏休みに入ったこともあって、今回はかなりのお客さんが訪れていた。
ただただ回るのではつまらないので、毎回テーマを決めて回るようにしている。昨日のテーマは、通常の日本からのツアーのお客さんをお連れした時を想定して1時間のコースで回わることにした。
実際に説明できるかどうか、大雑把ながらも普段ご案内するような感じで頭の中で呟きながら回った。
そしたらどうだろう?予想はしていたけど、画家の名前や絵画の名前がスンナリ出てこないものだ。
今迄は毎日のように回っていたから、その場に行けば自然と口に出てきたものだが、それが中々出てこない。いちいち作品のそばにある説明を確認する始末だった。
「これは拙いぞ、うちに帰って復習しないといけない」と痛感した。1年以上もご案内をしていないと忘れるのも仕方がないのだろうが、それでは急な仕事に対応できない。拙い拙い。

また、数年前にも催していたことだが、ルーヴル主催の20分の無料ガイドツアーがテーマを決めてやっていた。
昨日は「イタリア絵画」と、「サムトラケのニケ+アポロンのギャラリー」というツアーに参加してみた。
自分が今まで喋っていたことの再確認にもなったし、人から聞くことは勉強になるものだ。
8月中はやっているということなので、また参加してみたいと思う。これも時間帯によって人が替わこともあるので、同じコースでも何度も参加しても面白いと思う。

フォントネー修道院(Abbaye de Fontenay)以前から訪ねてみたいと思っていたフォントネー修道院にようやく行くことができた。よくよく考えて見ると子供のころから修道院というのは身近にあった。綺麗な庭の中にキリスト一生が彫刻で順番に...
12/07/2021

フォントネー修道院(Abbaye de Fontenay)

以前から訪ねてみたいと思っていたフォントネー修道院にようやく行くことができた。
よくよく考えて見ると子供のころから修道院というのは身近にあった。綺麗な庭の中にキリスト一生が彫刻で順番に並んでいた。
また、市内の別の修道院であるが、丘の上の修道院前が長い坂道になっていて、市のマラソン大会や駅伝の際にはそこが最初の苦しい区間だった。今、その修道院が沢山あった国に住んでいるとは何たるめぐりあわせか?
さて、それはともかく、今回のフォントネー修道院だが、デジョンの手前約70km位のところだろうか?パリからだと約250kmくらいか?例にもれずにとんでもない田舎にあった。まさに人気(ひとけ)のないちいさな谷間に潜むような感じで、囲いの内側で自給自足の暮らしをしていた12世紀のシトー会修道院の生活がどのようなものか想像できるというものだ。
フォントネーの建物全体の構成は、聖ベルナール(Saint Bernard)の思想を建築的に表現したもので、修道院生活の実際と聖ブノア(Saint Benoît)によって定められた戒律とに完全に適合させられている。
1日24時間を祈祷と労働(知的労働の他に肉体労働が含まれるところがクリュニーと異なる)と睡眠とに均等に分けるという方針は、教会、中庭回廊、総会室、写本制作室、共同寝室、鍛冶場といった建物群の「機能的」な配置や内部の設備によって枠づけられている。
1139年から1147年にかけて建てられた大修道院付属教会堂(Eglise Abbatiale)は、無装飾、簡素な構成、平らな後陣東端壁、方形の小聖堂などを特徴とするベルナールプランの最初の実現である。横断アーチで補強された尖塔ボールトをもつ身廊は、横断半円筒ボールトをもつ外廊によっていしっかり支えられている。これは聖ベルナールの慎重な配慮を示すもので、彼は1125年に、急ぎすぎる工事か、大胆すぎる設計のために起こったクリュニーの大ボールトの方かいから教訓を得たのであった。

1259年にはフランス王ルイ9世(Louis Ⅸ)があらゆる収税権を免除した。1269年には修道院は王国修道院 (l'abbaye royale) となり、王家の保護にもかかわらず、ブルゴーニュ地方を荒らした数度の戦乱の折には略奪の憂き目にも遭った。それでも16世紀までは伸長する諸勢力から恩恵を受けつつ発展した。しかし、王家の利益となるように修道院長選挙の廃止が強制されたことで、修道院の凋落が始まった。18世紀には、修道士たちは資金的な遣り繰りに窮し、食堂を取り壊さざるを得なかった
フランス革命中の1791年には、修道院は敷地ごとクロード・ユゴー(Claude Hugot)に売却され、以降100年ほどの間、製紙工場に転用されていた。
その後、1906年にリヨンの銀行家で芸術愛好者だったエドゥアール・エイナール(Édouard Aynard )の手に渡った。彼は1911年までかつての修道院の姿を取り戻させるべく修復工事を行い、製紙工場も解体した。フォントネー修道院は現在でもエイナール家の私有物ではあるので、一部の建物はエイナール家が住んでいる。

セーヌの水源(Source de Seine)かなり前のことだが元・タイガース(注)の沢田研二氏がレポーターを務める「セーヌの水源を訪ねる」という旅番組を見てから、ず~と興味があった場所なので、昨日やっとそれが実現できた。セーヌ川は水源から...
12/07/2021

セーヌの水源(Source de Seine)

かなり前のことだが元・タイガース(注)の沢田研二氏がレポーターを務める「セーヌの水源を訪ねる」という旅番組を見てから、ず~と興味があった場所なので、昨日やっとそれが実現できた。
セーヌ川は水源からルアーブルの河口付近まで約777kmと言われている。パリからル・アーブルまで行く際は、蛇行して流れるセーヌ川には何度も横断する為に度々目にするものの、パリから上流となるとあんまり接する機会はなかった。どんな川でも上流にいけば段々と細くなっていくものだからお目にかかれないのも自然か?
今回、パリから約300km、高速道路を降りてから、物凄い田舎道を走り、迷いながらも到着することができた。本当にやっと辿り着いたっていう感じだろうか?
場所はデジョンのちょっと手前、フォントネー修道院の割合近くの方だ。
そこの部分だけはパリ市管轄という場所で、小さな鍾乳洞みたいなところに泉があり、水がボコボコと湧いているところに石像があり、そこからちっちゃいな小川につながっていた。綺麗な水だった。チョロチョロした小さな流れを見て、運転してきた疲れは吹き飛んだ。
パリを貫くあの川のスタートはこんな小さな川からスタートするのか?と感慨深いものだった。
そこはちょっとだけピクニックとかできるスペースはあったものの、駐車場もなく、車は道路脇に置くという具合で、全然観光地化していなかった。そもそも道中の標識が極端に少なかった。
それでも、深い森の中にあって、いいところだったぁ〜。

(注意)「タイガース」とはプロ野球の「阪神タイガース」ではない。1960年代の「グループサウンズ(GS)のタイガース」だ。後々、慶應高校教諭になったタイガースのドラマーだった瞳みのる(本名・人見豊)氏が駿台予備校に非常勤講師として出講した際に、「元・タイガースの~」という紹介されたら、そこに居た人の中から「ポジションはどこだったんですか?」と聞かれたらしい。当時の予備校の関係者内ではGSは忘れ去られ「タイガース=野球」だったのだろう?

ヴォ―ジュ広場(Place des Vosges)ヴォ―ジュ広場はパリに5つある王様広場の一つであり、建物に囲まれたパリで最古の歴史的記念広場である。かつて、アンリ4世(HenriⅣ)は荒れ放題のこの場所に絹工場の建設を考えたことがあったが...
11/07/2021

ヴォ―ジュ広場(Place des Vosges)

ヴォ―ジュ広場はパリに5つある王様広場の一つであり、建物に囲まれたパリで最古の歴史的記念広場である。
かつて、アンリ4世(HenriⅣ)は荒れ放題のこの場所に絹工場の建設を考えたことがあったが、のちになってここを美しい邸宅街に変貌させる計画を立てた。カトリーヌ・ド・メディフィス(Catherine de Médicis)がかつて考えたように、四角く広大な広場を挟んで、すべてが「同一のシメントリーに従って建てられる」邸宅群を作ろうとしたのである。工事の責任者はメトゾー(Louis Métezeau )だったと思われるが、1612年に「ロワイヤル広場」が完成すると、そこはすぐに、雅びの人々が集まり、騎馬パレードが練り歩き、そして様々な歓楽が得られる場所となった。
リシュリュー(cardinal de Richelieu)の決闘禁止令にもかかわらず決闘しようという人々も、ここを舞台に闘った。リシュリュー枢機卿の家の前で決闘をしたモンモラシー・ブートヴィル(François de Montmorency-Bouteville)とシャペル(François Rosmadic Chapelles)は、1627年にグレーヴ広場で断頭刑に処せられた。大革命が起こると、広場の名は「不可分」広場となり、ルイ13世(Louis 13)の像は溶解され(1818年に新しい像が置かれた)。ヴォ―ジュ広場という名称が最初に用いられたのは1800年で、他に先がけて納税義務を果たしたヴォ―ジュ県を称えるためであった。
今回一回りして見て、思いのほか画廊(ギャラリー)が多いのにびっくり。カフェでは時間帯の為かいつも美味しそうに朝食を食べている光景が見られ、昔初めて入った三つ星レストランのランブロワジ―は曜日の関係か時間帯の関係かいつも閉まっていた。

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大盛況のうちに終わったルーブルのドラクロワ展。「民衆を導く女神」がいつものお部屋に戻ってきました。 言わずと知れたフランス絵画の超名作ですが、実はフランス人でも1789年のフランス大革命を題材にしていると思っている人も多いとか ! これは大革命の後、ナポレオンの出現と失脚を経た、王政復古後の1830年に起きた7月革命の様子を、ダイナミックなタッチと構図で描いたもの。ドラクロワのサインの横にも日付が記されています。 歴史に残る多くの傑作がそうであるように、発表当時は酷評されたそうです。 特に女神の脇毛に批判が集中したとか ! 後の印象派と呼ばれる画家たちに影響を与えたドラクロワの創造力豊かな色使い、筆致は、間近で見ることで分かります。 是非、本物に近づけるルーブルでジックリと名画をご鑑賞ください。