フランス日本語ガイド通訳協会 Association des Guides-Interprètes e

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高い所から見るパリの景色先日高層アパートの23階に住む友人宅へ行った際に、ひときわ高い屋上からのパリの景色を撮ってきた。特別な地域以外は基本的には建物の高さ制限のあるパリ市内では、エッフェル塔やモンパルナスタワーにでも登らない限り、高い所か...
16/08/2021

高い所から見るパリの景色

先日高層アパートの23階に住む友人宅へ行った際に、ひときわ高い屋上からのパリの景色を撮ってきた。
特別な地域以外は基本的には建物の高さ制限のあるパリ市内では、エッフェル塔やモンパルナスタワーにでも登らない限り、高い所から見るチャンスがあまりない。
普段は下界に住むだけに、高い所から見るパリの景色は特別だ。東京ならば23階に住んでいたとしても、昨今のタワーマンションブームでの高層マンションやオフィスビルに囲まれる可能性があるが、パリだと基本周りに障害物がない。エレーベータ―の故障や朝の通勤時での混雑さえなければ住み心地がいいだろう。
それはこちらの郊外に住むことにも当てはまる。列車などの交通機関が常に正常に走ってくれさえすれば郊外にも住むのだが、勿論その路線にもよるが、現実はかなり勇気のいる選択だと我々は考えてしまう。職業柄、早朝出発や深夜の帰宅があるからでもあるが。

カルティエ・ラタン(Quartier Lain)再訪一週間ぶりに観光局のガイドツアーに参加してきた。今までは5~7名位の参加だったが、今回は20人越えで大盛況のツアーだった。参加者が自分1人っていうこともあったのに、このツアーが段々知れ渡っ...
12/08/2021

カルティエ・ラタン(Quartier Lain)再訪

一週間ぶりに観光局のガイドツアーに参加してきた。今までは5~7名位の参加だったが、今回は20人越えで大盛況のツアーだった。参加者が自分1人っていうこともあったのに、このツアーが段々知れ渡ってきた証拠かもしれない。
ガイドさんも人数を心得ていて、ミニスピーカーを備えたマイクで案内を始めた。すでに何度か参加してきたカルチェラタン界隈のガイドツアーなので、このコースも幾分は被るものの、案内するところがなるべく違うところのようには心得ていたようだった。
まずは、クリュニ―中世史美術館(Musée de Cluny)前のポール・ペインルヴェ広場(Square Paul Painlevé)をスタートして、エコール通り(rue des Ecoes)に面したソルボンヌの立派な入り口の前を通り、コレ―ジュ・ド・フランス(Collège de France)の前へ。柵越しに見える中庭内の銅像がシャンポリオン(
Jean-François Champollion )だと初めて知った。ロゼッタストーンのヒエログリフの解読で有名だが、晩年このコレ―ジュ・ド・フランスでも教鞭をとっていた(41歳で亡くなったが)。その後、すぐ左脇裏手にあるかつてのコクレ学寮(Collège de Coqueret)のあるシャルチエ―ル袋小路(Impasse Chartière)を右に見て、16世紀の面影を残すラノ―通り(rue de Lanneau)を通り、シリア系のカトリック教会であるサン・エフレム教会(Église Saint-Éphrem-le-Syriaque )を柵の外から覗いてみる。シリア系のカトリック教会だ。普段は入れないようだったが、たまたまその日は夜コンサートがあるようだった。そういうことを事前にちゃんと見ておけば入ることも可能だろう。次回のコンサートをチェックしておこう。
ヴァレット通り(rue Valette)の坂をパンテオン(Panthéon)に向かって上って行くと、右側にあるのが1460年創立のサント・バルブ学院(Collège Ste-Barbe)がある。カルチェラタン界隈にある数あった学寮の唯一の生き残りだ。イエズス会創始者のメンバーでもあるイグナチウス・ド・ロヨラ(Ignace de Loyola )やフランシスコ・ザビエル(François Xavier )、自由の女神やエッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェル(Gustave Eiffel )が在籍したところだ。
パンテオンの脇に出た後、右にサントジュヌヴィエ―ヴ図書館(Bibliothéque Ste.Geneviève)、左前方にはサン・テチエンヌ・デュ・モン教会(Eglise St.Etienne du Mont)が見える。教会内を一通り見た後、脇の階段のところで映画「Midnight in Paris」の説明を始めようとする際、ガイドさんがこちらの顔を見て何か答えを求めてきたので、「ウディ・アレン」と答えると、「そう!その通り」って以心伝心っていう感じだった。なんのことはない、たまたま前日に娘がこの映画を「見たい」というので、色々な確認の意味もあって手持ちのDVDを見ていたのだが、何度見ても面白い映画だ。主人公のギル(オーエン・ウィルソン)はウディ・アレンをそのまま演じているようだと言われている。元々ウディ・アレン自身が「なんでも過去の方がいい」と言っているのである。この映画は彼の自作だが、ネタ本はジャック・フィニイ(Jack Finney)の「ふりだしに戻る」という説だ。
そのあと旧・エコールポリテクニック(Ecole Polytechnique)の脇を通り、クロヴィス通りを横切り、辻邦生が住んでいたデカルト通りからコントルスカルプ広場(Place de la Contrescarpe)へ出た。そこで、参加していた小さな女の子が、「そばに水飲み場はない?」って聞いていたので、ガイドさんが言う前に、私がブランヴィル通り(rue Blainville)を指さして「(ヴァラスの泉が)あっちにあるよ」って教えると、ガイドさんから「この辺りに住んでるの?」って聞かれた(いや私は15区だけど)。
結局、ローニン通り(rue Rollin)を突き当たって階段を降りたところの別の水飲み場で補給していた。
最後はそこからほど近い円形競技場(Arènes de Lutèce)で解散となった。
全行程2時間45分の熱の入った説明は聴きごたえがあった。

国境(Frontière)今までは、なにも考えずに気軽に行き来していた近隣諸国との移動も、この1年半のコロナ渦に巻き込まれてから、慎重に行動せねばならなくなった。先日のドイツ行きの際に一番心配したのは国境越えであった。ドイツへの入国はかつて...
09/08/2021

国境(Frontière)

今までは、なにも考えずに気軽に行き来していた近隣諸国との移動も、この1年半のコロナ渦に巻き込まれてから、慎重に行動せねばならなくなった。先日のドイツ行きの際に一番心配したのは国境越えであった。
ドイツへの入国はかつての同僚だったドイツ人に聞いて、「パスサニテール(ワクチンパス)があれば問題ない」と言われていたものの、問題は途中通過するベルギーへの出入国だった。そのドイツ人の友人が帰省する際は、場所的にフランスから直にドイツへ行けるところだが、今回我々がデュッセルドルフへ行く最短の行程ではどうしてもベルギーを通過せねばならなかった。最悪、入国できない場合は遠回りをしていくことも考えられたが、その場合は最短でも100km位余分に走ることになる。それはそれで、今まで知らないルートなので楽しいかとも思ったが、色いろ聞いた情報を総合すると「どうにかなるだろう」という行き当たりばったりな形でベルギーへ向かった。ベルギーに近づくにしたがってドキドキしたが、何のことはない国境ではいつもの様に何にもなかった。普段通りの国境越えであった。続くドイツ入国も何にもなかったので拍子抜けした。

島国の日本からすると、国境というのはあんまり身近に感じないかもしれない。陸続きのヨーロッパ内では国境越えは身近な出来事である。

世界的に考えると、国境は陸上にある場合もあれば海上・湖上・川の上の場合もある。
そして、川や山などの自然の国境以外にも人為的国境という、条約、経線、緯線、などで定められている国境もある。

フランスの場合は陸の国境では、ベルギー、リュクセンブルグ、ドイツ、スイス、イタリア、モナコ、スペイン、アンドラと接している。
ドイツの国境線は主にライン川、スペイン、イタリア、スイスとの間には山脈が多いが、ベルギ―、リュクセンブルグとはほぼ平地にある。
特別ラインが引かれているわけでもなく、高速道路ではなく一般道だといつのまにか国境越えということもある。

現在、ヨーロッパの主な国々だと、EU 統合の成果としてのシェンゲン協定実施の国々での国境での出入国管理は廃止されている。
この結果、シェンゲン協定実施国内においては、EUや通貨統合の成果と相まって国境の意味が薄れているが、やっぱり何度通過しても国境越えはスリリングな気持ちになる。

今迄はパリからだと一番身近で近い国であるベルギーへは、日帰り旅行も可能な気軽に行けるところだったが、今回ほど緊張して向かったことはなかった。

ルーヴル美術館(Musée du Louvre)再訪2週間ぶりにルーヴル美術館へ行ってきた。先月下旬からワクチン・パスが必携となってからは初めて訪問だった。どんな様子かと思っていたが、一番最初の荷物チェックの前で、事前に携帯に入力しておいた...
05/08/2021

ルーヴル美術館(Musée du Louvre)再訪

2週間ぶりにルーヴル美術館へ行ってきた。
先月下旬からワクチン・パスが必携となってからは初めて訪問だった。どんな様子かと思っていたが、一番最初の荷物チェックの前で、事前に携帯に入力しておいたワクチン・パス(ワクチン証明)を、係員の小さな器具でそのQRコードを読み取る形だった。娘は18歳以下ということで現時点では免除となっている(9月以降学校で接種する予定)。
観光客の方への対応はどういうことになっているのだろうかが心配だ。
今回は前回取り上げたツアーで普通に扱う作品以外で、比較的有名な作品をご紹介したいと思う。また、前回ドゥノン翼からリシュリュー翼へ行くのが難しかったので、今回は最初にリシュリュー翼に入ったら、一般的な観光客の殆どの方々はとりあえずモナリザなど有名作品があるドゥノン翼へ行くためか、しばらくの間はどこへ行っても監視員しかいない状況だった。中間のシュリ―翼の方まで行って、他のお客さんにやっと遇ったぐらいだ。
想像はしていたがドゥノン翼へ入ると、おそらくこの1年半の間では一番多いと思うくらいのお客さんの入り具合だった。果たして本当に人数制限をしているのだろうか?リシュリュー翼とドゥノン翼であまりにもお客さんの数が違うので、トータルで言えばそれほど入っていないと言う計算かとも思った。ルーヴルのここの部分だけを見ると、観光客の方が戻ったかの印象を感じる位だった。
たまたまフランス絵画のところにいる際に、以前も参加したことのある無料のガイドコースのスタート時間だったこともあって参加してみた。わかりやすい説明で今まで見落としていたところもままあり、勉強になったと思う。このツアー開催も残りの期間が少ないだろうから、また近い内にまた行きたいと思う。

マレ界隈散策(Quartier de Marais)また、観光局主催のガイドツアーへ参加してきた。今回はマレ地区である。最初にメトロ1番線のサンポ―ル駅(Saint Paul)での集合で、この日の参加者は7名だった。いつものように大体は引退...
04/08/2021

マレ界隈散策(Quartier de Marais)

また、観光局主催のガイドツアーへ参加してきた。
今回はマレ地区である。最初にメトロ1番線のサンポ―ル駅(Saint Paul)での集合で、この日の参加者は7名だった。いつものように大体は引退した直後位かと思われる年齢層のフランス人夫婦のことが多い。今まで案内していただいたガイドさんは、ドイツ人、アメリカ人、ロシア人、ブラジル人だったが、この日のガイドさんはフランス人の方だった。勿論説明はどこの出身の方でもフランス語で行われている。

まずは、サン・ポ―ル・サンルイ教会(Eglise Saint Paul Saint Louis)の説明を教会正面で聞いた。それからアンリⅣ世(Henri Ⅳ)の大蔵大臣であったシュリ―公(Duc de Sully)のものだったシュリ―館(Hôtel de Sully)の敷地を通り抜け、そのままヴォ―ジュ広場(Place des Vosges)へ。元々は王立広場だったのだが、フランス革命後に最初に税金を納めたのがヴォ―ジュ県だったことから、「ヴォ―ジュ」の名前が付けられた。先週はちょっと騒ぎがあって広場内中心部の柵の内側には入れなかったが、今回はいつものヴォ―ジュ広場に戻っていた。真ん中の騎馬像はルイXIII(Louis XIII)だ。水谷豊の映画の舞台にもなったホテル・王妃の館(Pavillon de la Réine)を抜けてから、べァルヌ通り(rue de Béarn)からパルク・ロワイヤル通り(rue du Parc Royal)に入ると17世紀の建物が立ち並んでいる。
マレ地区はフランス式個人邸宅の曲型ともいわれる「Les Hôtels Particuliers」という宮廷人や貴族たちが美しい邸宅を建てたことでも知られている。それは中庭と庭園に挟まれた人目に付かない古典主義建築である。
まずは、カニヤック館(Hôtel de Canillac)、デュレ・ド・シュヴァリ館(Hôtel Duret de Chevry)、国立文化遺産資料センターがはいっているヴィ二―館(Hôtel de Vigny)、古文書館となっているクロワジーユ館(Hôtel de Croisilles)が並んでいる。パイエンヌ通り(rue Payenne)に左に曲がってからジョルジュ・カン小広場(Square Georges Cain)にちょっと入って散策。
そのあとのシャティヨン館(Hôtel de Chatillon)は古い舗装された中庭と一風変わった階段が残っている。マルル館(Hôtel de Marle)、通称ポラストロン・ポリニャック館(Hôtel de Polastron Polignac)は現在スウェ―デン文化センターになっている。その日は休館日だったコニャック・ジェ美術館(Musée Cognacq jay)の裏手にも綺麗な公園がある。
マレ地区のメイン・ストリートでもあるフラン・ブルジョワ通り(rue des Francs Bourgeois)を横切って左手すぐのところにあるのはラモワニョン館(Hôtel de Lamoignon)で、かつて高等法院長のラモワニョン(Guillaume Ier de Lamoignon)が住んでいた。1968年からはパリ市歴史図書館(Bibliothèque historique de la Ville de Paris)となり、大革命についての豊富な資料の蔵書を持っている。最後は、ロジェ通り(rue des Rosiers)を通ってロジエ・ジョセフ・ミニョレット公園(Rosiers Joseph Migneret Garden)で終了となった。
このガイドツアーは通常は1時間半位の行程だが、この日は途中で雨にもあい、結局2時間半近くにもおよんだのでちょっとしんどかった。

フロン・ド・セーヌ(Front de Seine)界隈今日も観光局のガイドツアーに参加してきた。今回は地元といっていいだろう15区のフロン・ド・セーヌ(Front de Seine)界隈だ。日本からフランスへ来た当初の、最初の勤務先がこのフ...
03/08/2021

フロン・ド・セーヌ(Front de Seine)界隈

今日も観光局のガイドツアーに参加してきた。
今回は地元といっていいだろう15区のフロン・ド・セーヌ(Front de Seine)界隈だ。日本からフランスへ来た当初の、最初の勤務先がこのフロン・ド・セーヌ内の建物だったので、非常に身近に感じるところだ。あんまり変化がないパリからすると、いつも見ているためか、ここは色々な意味で比較的変化しているところだと思う。
集合は日仏文化会館前だった。シラク政権時代に、日仏両政府の肝いりでできた建物だ。コロナ渦前までは、個人的に図書館やコンサートなどでよく利用していたところだ。
それからビルアケム橋(Pont Bir Hakeim)を真ん中まで行き、白鳥の小路(Allée des Cygnes)を見てから、また15区側に戻り(対岸は16区)、フロン・ド・セーヌの建物に向かった。
元々はこの界隈はシトロエン(Citroën)の工場を始め、色々な工場があったところだが、1960~70年代の再開発により、住宅群、学校、事務所群、図書館・運動施設などの公共施設群などが造られていった。平行6面対ビル、くびれ腰ビル、ロッジア(列柱廊)ビルなど様々なタイプのビルで、単調な形態が並ぶのを救っている。
数年前に新しくなったボーグルネル・ショッピングセンター(Centre Beaugrenelle)を越え、アンドロ・シトロエン公園(Parc André Citroën)まで行ってお開きとなった。

アエロヴィル(Aéroville)久しぶりにシャルル・ド・ゴール(CDG)空港のそばにあるショッピングモール・アエロヴィルへ行ってきた。空港のそばと言えども、空港ターミナルから歩いていけるわけではないが、空港界隈のホテルに宿泊すればホテルに...
02/08/2021

アエロヴィル(Aéroville)

久しぶりにシャルル・ド・ゴール(CDG)空港のそばにあるショッピングモール・アエロヴィルへ行ってきた。
空港のそばと言えども、空港ターミナルから歩いていけるわけではないが、空港界隈のホテルに宿泊すればホテルに寄っては徒歩圏になるところもあるだろう。
昨今のエアーライン・クルーのスティ先もパリ市内ではなく、空港界隈のホテルのステイになっているクルーならば行かれることも可能かと思われる。
一般的にパリの郊外にあるショッピングモールだと、最低でも二階建ての造りだが、ここは基本地上階がメインの売り場なので、天井からの自然光が入って明るいのが特色だ。
現在、世間は夏休み中とあってか、今回普段の週末に比べると格段に空いていた。それでも、今の状況下では、モール内はマスク着用、右側通行で、お店の入店も右から入って左から出るっていうことが徹底されていた。

マーティン・ルーサー・キング公園界隈( Parc Clichy-Batignolles – Martin-Luther-King)一週間ぶりにまた観光局主催のガイドツアーに参加してきた。今回はクリシー・バティニョール・マーティン・ルーサー・...
31/07/2021

マーティン・ルーサー・キング公園界隈( Parc Clichy-Batignolles – Martin-Luther-King)

一週間ぶりにまた観光局主催のガイドツアーに参加してきた。今回はクリシー・バティニョール・マーティン・ルーサー・ キング公園とその界隈だ。
元々ここは国鉄の操車場や貨物関連の建物があった記憶がある。東京地区ならば汐留か?大宮あたりの国鉄の用地に新しい公園とその周りに住宅地を造った感じだろうか?
最近、地下鉄の14番線の延長ですぐそばに駅が2つできたことで、一層便利な場所にもなったところでもある。
自動車の環状線沿いには新しい最高裁判所もでき、トラムのT3B線路も数年前に通るようになり、この辺り自体が再開発地区のようになってきた。
個人的には、かつて通学した学校がこの地区にあり、当時は辛い日々を送っていただけに、とっても暗いイメージしかなかったものだが、今回この地を久しぶりに訪れて、随分と明るく綺麗な場所に変わったと思った。

ネアンデルタール博物館 (Neanderthal Museum)ネアンデルタール博物館は、ドイツのデュッセルドルフ郊外にあるメットマン(Mettmann)にある博物館だ。ネアンデルタールの標本となる骨が1856年にこのネアンデル谷で発見され...
30/07/2021

ネアンデルタール博物館 (Neanderthal Museum)

ネアンデルタール博物館は、ドイツのデュッセルドルフ郊外にあるメットマン(Mettmann)にある博物館だ。ネアンデルタールの標本となる骨が1856年にこのネアンデル谷で発見されたことにより、現在ネアンデルタール人に関する展示を行っている博物館がここにできたわけである。

私は、昔から一般的な美術館よりも、この手の人類系、科学・自然史系の博物館へ行くのが好きだった。東京・上野の国立科学博物館は色々な企画ものをいつもやっているし、ニューヨークのアメリカ自然史博物館 (American Museum of Natural History)も一日居ても飽きない、パリの国立自然史博物館 (le Muséum national d'histoire naturelle)も大変楽しい。その後ヨーロッパに来るようになって、その町の一般的な美術館へも行くようになってきていた。それでも今回のデュッセルドルフでは是非とも行きたかったのが、このネアンデルタール博物館で、まずは市街地に入る前に行ってみた。

ネアンデルタール人は、約4万年前までユーラシア大陸住んでいた旧人類の絶滅種または亜種である。彼らは、大規模な気候変動、病気またはこれらの要因の組み合わせによって絶滅した可能性が高い。彼らは完全にヨーロッパの初期の現生人類に取って代わられた。

ネアンデルタール人の技術は非常に洗練されていたと考えられている。その中には石器産業、火を起こしたり、洞窟の炉床を作ったり、毛布やポンチョに似た簡単な衣服を作ったり、機織りをしたり、地中海を航海したり、薬草を利用したり、重傷の治療をしたり、食べ物を保存したり、ロースト、煮沸、燻製どの様々な調理技術を利用したりする能力が含まれているネアンデルタール人の言語の複雑さは不明であるが、おそらく明瞭に話すことができる可能性があった。

博物館内にネアンデルタール人の人形に服を着せたマネキンのようなものが置いてあるのだが、今の社会にも出ていても実際歩いていそうに思えてしまうぐらい似ている人もいると思う。

デュッセルドルフ(Düsseldorf)久しぶりにドイツのデュッセルドルフに来ている。以前は、友人が居たので、何度か来た事があったが、それもかれこれ20数年前の話だ。この街はヨーロッパ一の日本人の街として有名だ。地理的にヨーロッパの中心的な...
28/07/2021

デュッセルドルフ(Düsseldorf)

久しぶりにドイツのデュッセルドルフに来ている。以前は、友人が居たので、何度か来た事があったが、それもかれこれ20数年前の話だ。
この街はヨーロッパ一の日本人の街として有名だ。地理的にヨーロッパの中心的な場所だからからだろうか?都市としては、ロンドンやパリほどは大きくはないが、やっぱり便利だからだろう?ドイツでは3番目の大きな空港もあるし、国鉄(DB) の駅も便利な場所にあり、地下鉄もトラムも発達している。
主に駐在員の人達のご子息が通学される日本人学校は、一時期は1000人を超える規模だったらしい。街をちょっとブラつくだけでも、住みやすそうなのは、分かるような気がする。

今回ちょっと慌てたのは、ドイツの主な大きな町では、排気ガスのレベルにより、市内に入る車の制限を設けており、デュッセルドルフもそれに該当していたことだ。今回、その事を知ったのは、出発の1週間前の事で、事前に色々と試みたが、上手くいかずに、結局ぶっつけ本番で来てしまった。
飛び込みで郊外の車検場に行ってみたら、市内に入ることが大丈夫である"グリーン・バッジ"というシールを、無事に車のフロントガラスに貼る事が出来た。"なんて優しい対応だったろう!"と、感心してしまうくらいな親切なスタッフであった。そんな訳で、安心して街の中心部に入ってくる事が出来た。
日本に帰りにくいご時世なので、束の間の日本ムードに浸りに来ている我が家の休暇である。

夏休み期間(Pendant les Vancances)7~8月の二か月間は夏休み期間である。フランスでは有給休暇が5週間与えられている。その中でも夏の間に通常は3週間位は続けて休みをとらなければならない。現在の5週間になったのは1982年...
26/07/2021

夏休み期間(Pendant les Vancances)

7~8月の二か月間は夏休み期間である。
フランスでは有給休暇が5週間与えられている。その中でも夏の間に通常は3週間位は続けて休みをとらなければならない。現在の5週間になったのは1982年からであるので、ヴァカンスはすっかりフランス人の生活の一部になっている。
勤め人が休みを取るように、お店やカフェ、レストランなどもまとまった休みに入る。バスやメトロ、鉄道なども夏の間は特別なダイヤとなり、本数が少なくなる。とにかくすべてが全て特別な時間になるのだ。以前もご紹介したようにRER(郊外高速鉄道)では、夏の間に定期的に完全に止まってしまう区間もある。
今朝も近所に数軒あるパン屋さんが軒並み閉まっていた。それは定休日と夏休みに入ってしまった店を見たためであるのだろうが、パン屋などは隣近所の店が揃って休みをとらないようにしていると思われるので、ちょっと余分に歩けば開いている店もちゃんとある。薬局、医者なども同様な措置がとられている。
日本からすると身近にある店舗や薬局がそれだけまとめて休みをとることなど、信じられない思いだが、こちらの7~8月ではそれが普通のなのである。
そもそもうちの界隈だと人がいない。大体シャッターや鎧戸が閉まっているので、不在になっているのは外から見て分かる。地上階にある共同のゴミ箱の中身も非常に少ない。元々静かな方のアパートだが、この夏の時期は特に静かなような気がする。
パリ中がこんな具合だから、7~8月は時が止まったような期間でもあり、なんにも物事が進まない。だから時として早く9月が来てほしいと思うこともある。

ムフタール通り界隈(rue Mouffetard) その2昨日もまた観光局主催の別のガイドツアーに参加してきた。先日回ったコースとほぼ同地域だったが、コース自体も違い、勿論説明も違っていた。まず、集合ポイントで戸惑った。ジャクリーヌ・ド・ロ...
24/07/2021

ムフタール通り界隈(rue Mouffetard) その2

昨日もまた観光局主催の別のガイドツアーに参加してきた。先日回ったコースとほぼ同地域だったが、コース自体も違い、勿論説明も違っていた。
まず、集合ポイントで戸惑った。ジャクリーヌ・ド・ロミリー広場(Place de Jacqueline de Romilly)だっていうものの、「一体そこはどこ?」と手持ちのミシュランの地図にも載っていないし、メトロの駅員に聞いても、駅付近の大き目な地図にも載っていなかった。結局、グーグルマップで見つけて辿り着いた。なんてことはない、よく前を通る旧・エコールポリテクニックの真ん前の広場だった。集まった人も皆同様に苦労して辿り着いたようだった。イギリス人のガイドさんに文句を言ったところで、その場所を指定してきたのは観光局なので、彼女に責任はないのに、一言言わないことには気が済まないのがフランス人だ。なぜ地図帳に載っていなかったのか?は、その広場の名前になった人は2010年に亡くなっているので、名前がついたのは普通はその没後であり、私の地図帳は1990年代のモノだから載っているわけなかったし、まだ地域住民にも知れ渡っていなかたのであろう。

さて、今日のコースは、その旧・エコール・ポリテクニックの現在の科学技術開発庁を左手に見ながら歩き始めた。当時も全寮制だったはずだから、敷地も大きかったのだろう。そして、クロヴィス通り(rue Clovis)とデカルト通り(rue Descartes)の角で、サン・テチエンヌ・デュ・モン教会(Eglise Saint Etienne du Mont)の裏手に、境界付属の司教館があったことを聞く。クロヴィス通りを挟んで見えるのがリセ・アンリⅣとクロヴィスの塔だ。
アンリⅣには中学もあるが、その中学生が上の高校に上がれるのは30%くらいであり、あとはフランス中から優秀な生徒が集まるとのこと(中学校は基本地域住民しか入れないが、高校だとその枠が外れるので)。東京の学芸大附属中が都内に3校ある中から(かつては4校から来たが)、全員が付属高校へ上がれないのよりはるかに厳しそうな門だ。
それから、クロヴィス通りの坂道を下ると見えてくるのがフィリップ・オーギュスト(Philippe Augusute)の城壁だ。この辺りでは何度も触れるので丁度境界線上だっていうことだ。
正面にスコットランド学寮が見えて来たら、カーディナル・ルモワン通り(rue Cardinal Lemoine)を右に曲がる。ほどなくして、左手にアイルランド系イギリス人作家のジェイムズ・ジョイス(James Joyce)や、フランス人小説家・詩人のヴァレリー・ラルボ―(Valery Larbaud)が住んでいたアパートが左手にある。しばらく行くと左手の通りはパスカル(Blaise Pascal)が住んでいた建物のある昨日も通ったローリン通り(rue Rollin)、右はヘミングウェイ(Arnest Hemingway)が住んでいたアパートの前を通る。
そしてすぐにコントルスカルプ広場(Place Contrescarpe)だ。そこにはヘミングウェイがまだ貧しかった時代に、カフェ(エスプレッソ)1杯で一日粘ったというカフェ(店)が今もある。彼のアパートには暖房がなく、冬はとっても寒かったから一日カフェにいたということだ。
それからブランヴィル通り(rue Blanville)に入り、右手にトゥルヌフォール通り(rue Tournefort)が交差すると道路名がエストラパード通り(rue de l'Estrapade)に代わり左手にディドロ(Didro)のアパートのすぐ先に赤っぽい建物が見えている。それは昔コーヒー豆の販売所だったところで、今はちょっと高級なアパートになっている。
ウルム通り(rue d'Ulm)からローモンド通り(rue Lhomond)に入ると大学の構内のような雰囲気になる。右手は高等師範学校の物理の実験室(Ecole Nationale Supérieure)が続く。建物の端に1966年にノーベル物理学賞を受賞したアルフレッド・カストレル(Alfred Kastler)のプレートがある。
ちょっと行くと、サン・テスプリ神学校(Séminaire du St.Esprit)がある。シャルグラン(Jean-François Chalgrin)によって建てられたものだ。
その後は、ポスト小路(Passage des Postes)、ムフタール通り(rue Mouffetard)を通って、サンメダール教会(Eglise St,Médard)の前で終了だった。

今日案内されたのは明るいタイプのガイドさんで、気配りがよくって終始和やかで楽しい雰囲気なのがよかった。ガイド内容プラスアルファを得られて大変参考になるガイディングであった。

サント・ジュヌヴィエ―ヴ図書館(Biblothèque Sainte-Geneviève)パンテオン脇にあるサント・ジュヌヴィエ―ヴ図書館へ行ってきた。以前もちょっと触れたが、文教地区にあることで、東京だと有栖川宮公園内の都立中央図書館を連...
23/07/2021

サント・ジュヌヴィエ―ヴ図書館(Biblothèque Sainte-Geneviève)

パンテオン脇にあるサント・ジュヌヴィエ―ヴ図書館へ行ってきた。
以前もちょっと触れたが、文教地区にあることで、東京だと有栖川宮公園内の都立中央図書館を連想するが、中の雰囲気はオックス・ブリッジかアイビーリーグの図書館に近いのだろうか。東京だと写真で見たことのある慶應大の三田校舎の図書館に近いかもしれない。伝統と歴史の重みを感じる。
さて、19世紀にこの図書館ができる前は、イグナチオ・デ・ロヨラ(Ignacio López de Loyola)、エラスムス(Desiderius Erasmus Roterodamus)、カルヴァン(Jean Calvin)などが学んでいたモンテギュ学寮(College de Montaigu)があって、その教育の質の高さ、規律の厳格さをもって知られていた。
図書館(建設1844~50年)は、金属製建築の大家ラブルスト(Henri Labrouste )の作である。サント・ジュヌヴィエ―ヴ大修道院の貴重な写本と初期活字本を中核に約270万冊の蔵書がここに収蔵された。

個人的に図書館で過ごすのは大好きだ。ここでの時間は別天地にいるような感覚だ。自宅にいる時と比べると集中できるかどうかが各段と違う。やはり周りに真面目な学生たちがいるのが大きな刺激なんだろう。いや、もし誰もいなくっても不思議とモチベーションがあがるところなのだ。明日から8月中旬まで閉館するそうだが、再開館の待ち遠しい。

ムフタ―ル通り界隈(rue Mouffetard)ちょっと前にもムフタール通りをご紹介させていただいたが、今日は観光局(Office Tourisme) 主催でこの界隈を訪ねるガイドツアーがあったので参加してみた。Mouffetardの言葉...
22/07/2021

ムフタ―ル通り界隈(rue Mouffetard)

ちょっと前にもムフタール通りをご紹介させていただいたが、今日は観光局(Office Tourisme) 主催でこの界隈を訪ねるガイドツアーがあったので参加してみた。
Mouffetardの言葉の由来「Moffettes」とは古語でスカンクとか炭酸ガスとか腐臭を意味し、また、かつてこの辺りにはビエーブル川という川が流れていて、17世紀ごろから川の汚染がひどく、そこから立ち上がる腐臭がムフタ―ル全体を覆ったことからというのも語源ということだ。加えて、辺りにはヨッパライや薬物中毒者が路上に寝転がり、場末の様相さえしていたらしい。
中世には通りに沿って建つサン・メダール教会(Église Saint-Médard)が村の中心となっていた。1724年には村がパリに組み込まれてからは、大動脈であるフォーブール・サン・メダール通りになった。そのままイタリア広場(Place d 'Italie)、そしてイタリア門(Porte d'Italie)があり、そのあとはローマへの道が延々と伸びているということだ。サント=ジュヌヴィエーヴ山(サント=ジュヌヴィエーヴの丘)の上にあったおかげでムフタール通りは、オスマン男爵(Georges-Eugène Haussmann)のパリ改造で作り替えられることはなく、昔の面影を至る所に残している。
今回、ツアーに参加してみて改めて気づいたことは、この地区は大昔にパリが町としてできたころから建物があり、人が住んでいた場所だということだ。私が今住んでいる15区など、昔はただの原野、湿地帯、石切り場だったのだろう。
今日のガイドさんは、さかんに「ここは非常に高級な地域になってしまった」っていうことを仰られていた。今日歩いた5区は誰もが憧れる界隈のひとつなので、それが土地の値段に跳ね返るのだろう?私も住んでみたい。

シャルル・ド・ゴール空港( Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle)久しぶりにCDG空港へ行ってきた。たまたま先週、友人宅で空港の管制官をしているというフランス人男性に遇ったので、空港の話題に触れたくなった。...
21/07/2021

シャルル・ド・ゴール空港( Aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle)

久しぶりにCDG空港へ行ってきた。
たまたま先週、友人宅で空港の管制官をしているというフランス人男性に遇ったので、空港の話題に触れたくなった。
その青年に当然「どこの空港?」って聞くと、「空港ではないんだぁ~」っていう返事だったので、「ああ~東京ならば所沢みたいなところね?」っていうと、一緒にいた日本人のガールフレンドが「そうそう」っていう返事。
パリの場合はCDG空港以外にもオルリー空港(ORY)と主にプライベート飛行機のブルジェ空港(LBG)があり、その3つの空港を管制しているということだ。東京だと羽田(HND)や成田(NRT)などの航空機を管制しているのが所沢にある東京航空交通管制部(Tokyo Control)だ。わかりやすく言うと、空港に発着する前後の飛行機に対しての交通整理をする管制部ということである。東京コントロールは北は東北から中国地方までカバーしているようだ。
各空港にある管制塔は、あくまでの空港に発着する便の管制だけなのである。

さて、久しぶりの空港であったが、しばらく空港送迎はできなかったのだが、送迎者がターミナルに入らなければいいということで、友人の一時帰国に際して見送りに行ったわけである。友人が乗るANA機は本来のターミナル1からターミナル2Eになっていた。どうやら他社便も同様な措置がとられている様だ。そもそもターミナル1の老朽化ということもあるのかもしれないが、便数の減便の為かわからない。

今回は見送りだけで、駐車場で友人と荷物を降ろして、それだけで直ぐに出てきた。到着階の駐車代は30分以内は無料だったので、念のために長い方の到着階に入れたが、こんな措置は今までもあったのだろうか?少なくともターミナル1にはなかったような気がする(私が知らないだけだったのか?)。あんまり意識したことはなかった。ちなみに出発階は無料の時間制限10~15分と短いということだ。いずれにせよ、いつも空港の駐車場では10〜20€位は支払っていたようなイメージだったので、今回の無料は拍子抜けした。
個人的には古いながらもドーナツ型のターミナル1の建物は好きなのだが、如何せんターミナルへ入ってから飛行機までがかなり遠いので沢山歩かねばならない(動く歩道はあるが)。
ターミナル2を作った際のコンセプト「飛行機からあまり歩かないで外に出れる」の真逆をいっているものになっている。おまけに設計者(ポール・アンドリュー /Paul Andreu)が同じというの面白い。
今、ターミナル2はAからGまである。かつてターミナル1しかなかった時代を知るものとしては感慨深いものがある。しばらくターミナル2自体を利用していていなかった私も、「そんなに大きくなっちゃったの?」っていう感じだ。ターミナル2Gまではターミナル2Eからシャトルが出ている。ターミナル2Gは主にフランス国内と欧州内がメインな様なので、これからは利用する機会があるかもしれない。

それにしても、長い間空港とは縁がなかった。そもそも日本からお客様が来ない分には、空港にも行き来することもなかった。早く往来が盛んになることを祈るばかりである。

レ・アル界隈(Les Halles)レ・アルというと一般的には(元)中央市場ということで、フランスの主な街にはよくある地名(場所)だ。パリの場合は1110年頃からこの辺りで市(Marché)が立ち始め、1183年にフィリップ・オーギュスト(...
20/07/2021

レ・アル界隈(Les Halles)

レ・アルというと一般的には(元)中央市場ということで、フランスの主な街にはよくある地名(場所)だ。
パリの場合は1110年頃からこの辺りで市(Marché)が立ち始め、1183年にフィリップ・オーギュスト(Philippe Auguste) がここを常設市場にしてから、1969年に現在のランジスに移転するまでの長い間、ここにパリの台所としての中央市場があった。現在では旧・市場の7ha以上の敷地に歩行者ファーラム(広場)が地下25mの深さにと、巨大なショッピングセンターになっている。
今回はこのフォーラム・デ・アルの周りを歩いてみた。普段通っていたところも、気を付けて歩くと驚くことが結構発見できるものだ。
まずは、フォーラムを出た後は、ソーヴァル通り(rue Sauval)に入る。これは旧・デ・ゼチューヴ(rue des Etuves)ということで、「Etuve」は発汗室つまりサウナの意味で、元々は公衆浴場があったらしい。サン・トノレ通り(rue St.Honoré)の角にはモリエール(Molière/本名Jean-Baptiste Poquelin)が生まれた家が建っていたというプレートがある。サントノレ通りをルーヴル方面へ向かうと、オラトリオ教会(Église réformée de l'Oratoire du Louvre)がある。ルイ13世(Louis XIII)と王妃・アンヌ・ドートリッシュ(Anne d'Autriche)はここで葬儀が行われた。
ジャン・ジャック・ルソー通り(rue Jean Jacques Rousseau)は名前の通り、かつてルソーが住んでいた家があった。途中で大きな通りでもあるルーヴル通り(rue du Louvre)が貫通しているので、二か所に分断されているような感じでちょっと分かりずらい。途中で現在は美術館になった商品取引所(Bourse du Commerce)が右手にある。
大きな教会であるサン・テュスタッシュ教会(Eglise St.Eustache)の手前に24時間営業のレストラン・ピエ・ド・コーションがある。サン・テュスタッシュ教会は、配置や骨組みはゴチック式、装飾はルネッサンス式で、パリで最も美しい教会の一つだ。私も初めて入ったときはノートル・ダムと同じくらい驚愕した。
教会の裏手の方にはジャン無畏王の塔(La tour de Jean-sans-Peur)が立っている。ブルゴーニュ公ジャン無畏王が1408年に建てたものだが、元々はブルゴーニュ館(Hôtel de Bourgogne)があった。サン・ドニ通り(rue St.Denis)を一挙にイノサンの泉(Fontaine des Innocents)まで歩く。12世紀ごろには、ここに墓地と教会があった。
ピエール・レスコー(Pierre Lescot)が設計し、ジャン・グージョン(Jean Goujon)が彫刻したこの泉はルネッサンス期の傑作の一つだ。
そこからほど近い場所に、アンリⅣ世(HenriⅣ)が暗殺されたフェロヌリ通り(rue de la Ferronnerie)がある。道路上に3輪の百合の花をつけた大理石の敷石が問題の場所を示している。ポンピドーセンターを右に見ながらサン・マルタン通り(rue St.Martin)を歩いていくと、ベルナール・ド・クレルヴォ―通り(rue Bernard de Clairvaux)に「時の守護者(Le Défenseur du Temps)」というジャック・モネスティエ(Jacques Monestier)が考案・製作した大時計がある。電気仕掛けで動くようにプログラムされている。
そこからはまたポンピドーセンターの脇を通り、ピエール・オ・ラ―ル通り(rue Pierre au Lard)、サント・クロワ・ド・ラ・ブルトンヌリ小公園(Square Ste.Croix de la Bretonnerie)という小さな路地の様な通りを経て、デ・ザルシ―ヴ通り(rue des Archives)に出て、今は工事中のビレット教会(Eglise des Billettes)を外から眺めてお終いにした。
レ・アル界隈もマレ地区同様に小さな道路が多く、建物や雰囲気が昔の面影を残す場所であった。今回も大急ぎで歩いてしまったが、またゆっくりと見てみたいと思う。

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大盛況のうちに終わったルーブルのドラクロワ展。「民衆を導く女神」がいつものお部屋に戻ってきました。 言わずと知れたフランス絵画の超名作ですが、実はフランス人でも1789年のフランス大革命を題材にしていると思っている人も多いとか ! これは大革命の後、ナポレオンの出現と失脚を経た、王政復古後の1830年に起きた7月革命の様子を、ダイナミックなタッチと構図で描いたもの。ドラクロワのサインの横にも日付が記されています。 歴史に残る多くの傑作がそうであるように、発表当時は酷評されたそうです。 特に女神の脇毛に批判が集中したとか ! 後の印象派と呼ばれる画家たちに影響を与えたドラクロワの創造力豊かな色使い、筆致は、間近で見ることで分かります。 是非、本物に近づけるルーブルでジックリと名画をご鑑賞ください。